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【上】1945年4月7日、爆撃を受ける三菱重工業名古屋発動機製作所付近=米国立公文書館所蔵、米軍撮影【下】現在の同じ場所。同製作所があった一角にはナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)が建てられた=2025年2月、朝日新聞社機から、嶋田達也撮影

 太平洋戦争中、日本各地は空襲にさらされ、広島と長崎には原爆が投下された。

 野球場などスポーツ施設も被害を受け、戦後に建設された競技場には、空襲などに見舞われた場所に立つ例も多い。

 終戦後は野球場名に「平和」を入れるケースが見られ、近年では「ピース」を名前に入れたサッカー場が相次いで開業した。

 13日には、プロ野球広島東洋カープが「ピースナイター」と銘打ち、「Peace(平和)」と書かれたユニホームで公式戦に臨む。

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2015年に行われた「ピースナイター」で、「86」「PEACE」と書かれたユニホームを着て、円陣を組む広島の選手たち

ゲーリック球場から平和球場へ

 横浜DeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアム(横浜市中区)の場所には戦前、「横浜公園球場」があった。1923年に発生した関東大震災復興事業の一環として、29年に完成した。

 太平洋戦争末期の45年5月29日午前9時すぎ、454機のB29爆撃機が横浜市街地に焼夷(しょうい)弾約2500㌧を投下、同球場周辺も大きな被害を受けた。

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【上】1945年5月29日、空襲を受け、煙を上げて炎上する横浜市内。中央右は横浜スタジアムへ建て替え前の横浜公園球場=米軍撮影、米国立公文書館所蔵【下】現在の横浜市内。中央右は横浜スタジアム=朝日新聞社機から、嶋田達也撮影

 戦後は進駐軍に接収され、米国の名選手にちなみ「ゲーリック球場」に名称を変更。接収解除後の55年に、二度と戦争を起こさないという思いを込め「横浜公園平和球場」と名付けられた。

 現在の横浜スタジアムに建て替えられたのは78年だった。

終戦後「二度と戦争はしない」思いでつけた「平和」。その思いは現代でも。「ピース」とつけた2つのサッカー場が開業し、犠牲者を追悼するイベントが各地の競技場で行われています。

 福岡ソフトバンクホークスの…

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